福島第一原発事故から14年が経過し、あの日に始まったできごとが風化し始めています。また、当時のことを知らない世代も増えています。
原子力市民委員会(CCNE)は2013年に発足以来、原発のない社会をめざして政策提言をおこなうシンクタンクとして、『原発ゼロ社会への道』シリーズなど、多くの情報を発信してきました。
しかし、原発問題では「わかりやすく伝える」ことがいつも課題でした。
原発やエネルギーの問題に関心がある人には、重要な情報を届けることができたかもしれません。でも、原発の問題に距離を置いてしまう人や、当時のことを知らない世代にまで、十分に伝わるような発信はできてきませんでした。
福島原発事故の風化が進み、政府は「原発を最大限活用」していく方針へと舵をきりました。その結果、地震で被災した原発や、老朽化した原発が各地で動き始めています。
今あらためて、福島原発事故とは何だったのか、そして原発のない社会が実現可能であることについて、多くの人が考えるきっかけとなる「わかりやすい情報の拠点づくり」にチャレンジしたいと考えています。
2025-07-03 06:48
上野千鶴子さんから応援メッセージをいただきました
上野千鶴子さん(NPO法人 ウィメンズアクションネットワーク (WAN) 理事長)から応援メッセージをいただきました。福島原発事故の教訓を思い起こすために、今、多くの方に届けたいメッセージです。上野さん、ありがとうございます。
3.11福島原発事故の後、日本は変わるか、と期待しました。
なのにあたかも何ごともなかったかのように、エネルギー政策は「復旧(もとにもどる)」しようとしています。日本から学んだドイツと台湾は、原子力発電所を廃止したというのに。わたしたちが支払ったあの大きなコストは、いったい何だったのでしょうか?
3.11の後、わたしは自分があの事故を食い止めることができなかったことに、深い反省をしました。わたしは何もしてこなかったからです。あの事故は人災でした。早くからそれを予見して、警告している良心的な科学者たちがいました。高木仁三郎さんはそのおひとりです。高木さんは2000年に62歳で没、あの災厄を経験する前に逝かれました。2011年に生きておられたら、どう思われたことでしょう。

原発政策に反対する科学者たちは、学界でも冷や飯を味わわされていました。その高木さんが期待したのが市民科学者です。その市民科学者を応援するためにつくられたのが、高木仁三郎市民科学基金です。その後、高木基金によって2013年に原子力市民委員会が脱原発社会を推進するためにつくられました。
あなたは知っていましたか?知らないことは罪です。わたしはそれを恥じています。
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