シリアでは2024年12月にアサド政権が崩壊し、14年近くにわたる内戦が終わりました。復興への歩みが始まったものの、家や病院、水道や電気などのインフラが破壊され、帰還を望む人びとの生活再建は前途多難な状況です。生活の目途が立たない、治安が不安定な地域もあるなどの理由から、すぐに故郷へ戻れず今もレバノンで暮らす家族や子どもたちがたくさんいます。
帰還が難しい人びとが多く残るベカー高原の町、ザハレ郡バール・エリアス市では、シリア難民やパレスチナ難民、経済的に困窮するレバノン人の子どもたちが共に学んでいます。山岳地帯にあり標高1,000メートル近いこの地の冬は厳しく、氷点下まで冷え込みます。家庭で暖房用の灯油を確保することが難しいなか、暖かい教室で過ごす時間が子どもたちにとって何よりの楽しみで、学ぶことは子どもたちの将来の可能性を広げることにもつながります。
パルシックはこの冬、バール・エリアス市のアマン校で子どもたちが安心して学び続けられるよう、学校に暖房用の灯油を届けます。どうか、あたたかいご支援をお願いいたします。
2025-12-04 17:29
レバノンで生まれ育ったシリア難民の子どもたち──ルーツを越えてともに学ぶ
アマン校には、4歳から17歳まで500人あまりの子どもたちが通っています。日本の幼稚園2年生から中学3年生です。子どもたちは、シリア人、レバノン人、パレスチナ人とルーツはさまざまですが、その大半がシリア難民の子どもたちです。
こんにちは。パルシックレバノン事務所の土橋です。皆さまからの温かいご支援のおかげで、目標の75%を達成しました。心より感謝申し上げます。
今回は、アマン校に通う子どもたちと学校で学ぶ様子についてご紹介します。
アマン校に通う子どもたちは、シリア人、レバノン人、パレスチナ人とルーツはさまざまですが、その大半がシリア難民の子どもたちです。子どもたちの家族は14年近く続いた内戦の間にレバノンに避難して来たため、子どもたちの多くがレバノンの難民キャンプで生まれ育ちました。

アマン校には、4歳から17歳まで500人あまりの子どもたちが通っています。日本の幼稚園2年生から中学3年生です。必須科目はアラビア語、英語、算数と理科、レバノンの教育カリキュラムに合わせて授業が行われます。日本の学校のように先生が黒板(アマン校ではホワイトボード)の前に立って授業をすることもあれば、少人数でのグループワークも盛んに行われています。




